バスケットボールの神様に感謝

 日本代表がオリンピック出場を決定した夜、私は二十数年前に部活動を指導した教え子たちと飲み会をしていた。定期的に集まっていたメンバーだったが、新型コロナウイルス感染拡大にともなって会もできない状態であった。当時男女の顧問をしていた友人も定年退職したために、退職祝いの会を開いてくれたくれたのだ。
 今では”ブラック”と呼ばれる教師の仕事。その中でも大きな問題となっているのが部活動である。高校・大学とサッカー部であった私には”バスケットボール?授業でやったくらい”。授業の中では、サッカーのように体をぶつけてしまい、”ファール王的な存在”であった。
 そんな私がバスケットボールと出会い、その魅力に引き込まれ・・・・今に至っている。バスケットボールを通じてたくさんの人と出会い、楽しい思いも辛い思いもしてきた。「今の私があるのはバスケットボールに出会えたからだ!」と言い切れる、人生を変えてくれたのがバスケットボールだと思っている。ブラックな存在の部活動を素人ながら必死にやってきたからこそ、教え子たちとの関係が続き、お金では決して買うことのできない大切な宝物をもらった。
 その会の途中からはお店のテレビで日本代表を応援し、教え子たちとオリンピック出場を喜び合えたのも貴重な経験だった。
 あらためて”バスケットボールの神様に感謝!”

久しぶりに遠征

 コロナの影響を受け、なかなか行くことができなかった宿泊を伴った遠征に出かけた。参加者は6名、プレーできる選手は5名、初日の相手は中学3年生を中心としたチーム。何ができるか?が大きな課題であった。

 初日、最近経験したことのない大敗。それでもパスを繋いで攻める感覚を身につけることができた。しばらくこれほどプレッシャーの強い相手と対戦することはないため、良い経験となった。

 2日目は、1・2年生中心のチーム。第1試合、オフェンスは初日の経験を活かすことができた。デフェンスは・・・・。タイムアウトをとって何度も話してもできない!?コーチの二人は絶句!?

 第2試合、オフェンスはかなり安定してきた。それでも視野が狭すぎ、相手にパスをしてしまう・・・・。結果は接戦で敗戦。

 全敗で終わった遠征であったが、よく5人で戦った。よく頑張った選手たち、大会を計画・運営してくださったチーム関係者、そして選手を快く送り出してくださった保護者に感謝をしたい。

成長に感動

 中体連市内大会が終了した。公式戦初勝利はできたが、東濃大会の出場権は得ることができなかった。しかし、選手の成長を感じる素晴らしい試合ができた。ミニバス経験もなく、身長・スピードも他チームとは格段の差があった選手たちが、”自分の活躍できる場”を見つけ、そこで自分らしくプレーした。決して大きな輝きではなかったが、この2年間の姿を見てきた保護者・コーチを感動させる素晴らしい輝きであった。

 選手の成長を間近で見ることができるコーチというポジションがまた好きになった。その思いにさせてくれた3年生、ありがとう!

サッカーW杯

 眠い!でも、すごい試合になった。真夜中に何度も声をあげてしまった。両チームのエースの勝負強さに驚き。PK戦の対決も面白かった。

 個人的に言うとアルゼンチンの優勝は全てLIVETV観戦していたことになる。1978年のアルゼンチン大会でのマリオ・ケンペスの得点王。1986年のメキシコ大会のディエゴマラドーナのドリブルと神の手。そして、2022年のミオネル・メッシ。

 あらためて思う。サッカーも面白い!

ユーミンが好きだ!

 ミュージックステーションでユーミンの人気投票?でベスト10を発表していた。私にとってユーミンは”青春そのもの”であった。

 小学生高学年〜中学生時代の私はフォークソングに夢中であった。かぐや姫、吉田拓郎、井上井陽水・・・中学生の私には到底理解できない愛の世界への憧れか男の女の別れを歌うフォークソングに夢中になった。そんな時、ユーミンの出現により「ニューミュージック」という新しい音楽が生まれた。

 私がユーミンの曲を初めて聴いたのはラジオの「不二家歌謡ベストテン」だったと思う。「やさしさに包まれたなら」が印象的であった。その後、「ひこうき雲」を知った。 その後、ユーミンは衝撃を与えるわけではないが私の心に着実に入り込んできた。

「翳りゆく部屋」「卒業写真」「冷たい雨」「中央フリーウエイ」「潮風にちぎれて」「埠頭を渡る風」・・・・。”私はユーミンが好きだ!”と確信したのは「私をスキーに連れてって」(1987年)と「季節はずれの海岸物語」(1988年)である。特に「私をスキーに連れてって」は生活にも大きな影響を与え、アマチュア無線の免許を取りスキーに時間とお金を費やした。

 フォークソングは大人の恋愛への憧れであったが、ユーミンは等身大の自分の恋愛への憧れであった(結婚後も・・・ただし、嫁さんに叱られることはしていません!)。

 今年、ユーミン50周年記念でベストアルバムが発売されたが、90%以上の曲が収録されているアルバムを購入していた。この秋はマイベスト・ユーミンのプレイリストを作ってみようと思う。

夏季休暇で温泉へ

 8月に取れなかった夏季休暇を使って飛騨の温泉にやってきた。現役中、休みをとって旅行することはほとんどできなかったので、老後は・・・・と思っていたが、現実は厳しかった。コロナの影響もあり、退職の年も1泊の旅行だけ。退職してもやっと2回目の温泉旅行。何度か訪れたホテルで12時間ステイがスタート!時々仕事のチャットが入るが、心も体も余裕があるので短時間で対応。毎週ここでリモートワークできたらいいな・・・。

連休の試合を終えて

 この連休は試合三昧。土曜日はGリーグ、日曜日・月曜日は市内中学生大会。リーグ戦では勝利することができたが、市内大会は、全敗。しかし、内容が素晴らしい。どの試合でも成長を実感することができた。メンバー全員がいくつかの試合で成長した。課題はたくさんある。それでもこの連休のようにメンバー全員が成長できることが嬉しい。

「クリーンバスケット、クリーン・ザ・ゲーム ~暴力暴言根絶~ 」

 最近、教え子のコーチから紹介してもらった「幸せなコーチになろう」という動画を視聴した。日本バスケットボール協会が進める「クリーンバスケット、クリーン・ザ・ゲーム ~暴力暴言根絶~ 」という取組をサポートするようなイベントである。

 自分自身、この取組を受け、できる限り選手に前向きな声をかけようと心がけているところだったので、過去の自分を反省しながら、今の自分の行動を再確認できる機会となった。

 しかし、この週末の交流会では・・・・!?。参加したチームのコーチの中には、前向きな声をかける若いコーチも、大丈夫か!?というベテランコーチもいた。暴力ではなかったし、暴言とは言い難いが、「大声でプレーヤーを高圧的威嚇的に指導」に当たるのではないか?と思うことが何回もあった。残念すぎる!これでは地区のレベルは上がっていかない。

懐かしいものを発見!

 久しぶりに部屋の掃除を始めた。すると、中学校の卒業記念の皿が出てきた。そこに自分が残したコメントが!

 もう君たちは忘れてしまっただろうかあの頃の風景を、あの時の風の匂いを、あの頃の光のざわめきを
 やがて僕達は忘れてしまうんだろうかこんなにも真剣に怒ったり迷ったり泣いたり、傷つけたりしてもやがて時が経てば笑って思い返して・・・そしてそのうち思い返すことも無くなるんだろうか
 だけど、その時確かに私はそこにいた
 あなたの人生の中であなたはいつもヒロインとして輝きつづける人生という物語はこれからも続いていく――そして僕達は、生き続ける

「あすなろ白書」のスタートで石田ひかりのナレーションで読まれていたフレーズである。この頃、どんなに忙しくても月9は欠かさず見ていた。毎日がハードで、楽しくて、体はボロボロ、心は元気!という超ブラック状態で働いていた。「週に1回しか飲まない!」と決めていたユンケルで乗り切っていた。

 その時の生徒たちも今は中学生の親となる年齢。久しぶりに会いたいな。

責任

退職するまで、「責任」の重圧はさほど気にせずやってきた。若くてもそれが楽しみであることもあった。退職して一区切りしたせいか、「もう背負いたくない」自分がいる。「子どものために・・・」頑張り切れない自分がいる。